大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和39年(オ)419号 判決

上告人

三上ハル

右訴訟代理人

長谷川専造

被上告人

鈴木暁太郎

右訴訟代理人

荒木迪夫

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人長谷川専造の上告理由第一点について。

訴外鈴木博は上告人名義の本件第一手形を振り出す権限を有しなかつた旨および所論(2)引用の原判示は、いずれも、証拠関係に照らし、相当である。したがつて、原判決に所論の違法はなく、所論は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断および事実の認定を非難するに帰するから、採用できない。

同第二点について。

鈴木博が被上告人の実印を無断で持ち出した旨の原審の認定が原判決挙示の証拠に照し相当であり、右認定事実その他鈴木博が本件第一手形の振出人欄に被上告人名義で記名押印するに至つた経緯、鈴木博と被上告人との関係、本件当事者間の取引関係、右手形の金額等について原審の確定した諸般の事情のもとでは、上告人は、直接、本人である被上告人に鈴木博の権限の有無を確めるべきであり、このような措置をとることなく、漫然右訴外人が右手形を振り出す権限を有すると信ずるに至つたことには過失があるとした原判示は、所論引用の判例の趣旨に反するものではなく、正当である。したがつて、原判決に所論の違法はなく、所論は、ひつきよう、右と異なつた見解に立つて原判決を攻撃するに帰するから、採用できない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。(裁判長裁判官奥野健一 裁判官山田作之助 草鹿浅之介 城戸芳彦 石田和外)

上告代理人長谷川専造の上告理由

第一点 原判決は経験則に反して事実を認定したか、また証拠に基づかずして事実を認定したる違法がある。

(1) 即ち、原判決はその理由の部に於て、

「原判決(第一審判決)がその理由の部において、説示することと同様であるから、その理由記載をここに引用する。」として原判決(第一審判決)を援用し、また被上告人がその長男である訴外博に対し、昭和三一年頃から世帯を預け家計一切について包括的代理権を与えたことを認定しておりながら、しかも本件手形振出行為については、その包括的代理権の範囲外と認定したことは、著るしき事実誤認である。

抑々、わが国に於ては、世帯主が相当の年令に達し、その世帯一切を適当とする後継者に委託したる場合に於ては、一般にその営業上及営業外の一切の行為について之に包括的に一任したものとみるべきである。

かゝる場合、手形振出行為は右包括的代理権の範囲外にあると認定すべき特段の事情の認められない本件に於ては手形振出行為は右包括的代理権の範囲外の行為であると認定するについて何等正当な理由がないのである。

就中、本件の場合被上告人方は八百屋営業をなしておるのであるから、八百屋営業にとりては手形振出行為は当然営業行為の一環か、尠くとも之に随伴する行為のうちに包含されることは之亦経験法則から明らかなところである。

然るにかゝわらず、原判決は被上告人は八百屋営業をなしていたこと及其の家計一切の包括的代理権を博に与えた旨認定しておりながら、本件の手形振出行為についてのみ、即ち、博のなした手形振出行為についてのみ――この包括的代理権の範囲外の行為と認定したのである。

(2) また原判決は、

「訴外博が本件第一手形に第一審被告鈴木の署名捺印をするのに用いた同被告の実印は平素同被告の居室である同人方二階八畳間備付けの箪笥内に同被告の衣類等と一諸に保管してあり、これを訴外博が同被告に無断で持出して署名捺印したもので、本人である第一審被告鈴木から預り交付を受けていたものではないこと及訴外博は第一審被告鈴木が不在のときとか公官署の書類などには、同被告に代りその実印を使用して、同被告名義の借金や手形行為をなしたことがないことが認められる。」

としているが、右は明らかに証人鈴木博の昭和三四年七月一八日附証言中

「証人は、二、三年前から、被告鈴木暁太郎から世帯を預り、父の実印を預つています。」

とあることに抵触し、明らかに事実の誤認があるか、審理不尽かの違法を免れ得ない。

凡そ、事実の認定は裁判官の専権に委ねられていることは論ずるまでもないところであるが、その事実認定なるものは、社会一般の通念および経験法則に背反することは許されないのであつて、原判決の前記の如き事実の認定は経験則に反して事実を認定したか、証拠に基づかずして事実を認定したる違法あるものというべきである。

第二点 原判決は民法第一一〇条の解釈適用を誤つたか、理由不備、審理不尽の違法がある。

原判決はその理由中に於て、

「然しながら、第一審原告に於て訴外博が保証の趣旨で本件第一手形の振出人欄に第一審被告鈴木の署名捺印を代行し得る権限を有すると信ずるに至つたことについて第一審原告に過失があつたことは、原判決に説示してある通りであるから、第一審原告に於て、訴外博に右権限があると信ずべき正当の理由があつたということはできない。」

の説示しておる。

ところで、右説示に於て引用しておる第一審判決のこの部分をみるに、

「原告(上告人)は前記昭和三三年一一月中頃午后六時頃被告(被上告人)瀬川方に赴むいた際、同被告から同訴外人を「この人は向いで八百屋をしており、家屋敷もあるし、保証人に頼んだ」と紹介を受けたものであること、しかるに、同訴外人が右紹介の趣旨と異り、その父たる被告鈴木の記名捺印をしたことについて、同訴外人「自分が家計をみているが、戸主はおやじがしているから、おやじの名前の方がよいだろう。」等と告げられたのを、たやすく信じて別段の疑念を抱かなかつたこと、原告は被告鈴木とは勿論右訴外人とも初対面であつて、これまで同種手形保証等行為をして貰つたことはなこと、原告は同被告と同じ町内(石川県江沼郡山中町湯の出町)に居住し、同訴外人が前記記名捺印を代行すべき権限を有するかどうかを本人である同被告について確かめるのは一挙手一投足の労に過ぎないのに、事前かゝる措置を講じなかつたことをそれぞれ認めることができる。ところでかゝる事情のもとにおいて金四〇〇、〇〇〇円という多額の手形保証をして貰う原告としては、同訴外人の言を信用するだけでなく、直接本人である同被告について右権限授与の有無を確めるべきであり、通常人としてかゝる注意力を用いることは当然期待せらるべきことであるから原告がかゝる措置に出ることなく慢然同訴外人が右権限を有すると信ずるに至つたことについては原告に過失があるというの外はない。

なお、同訴外人が同被告の長男であること、及前記捺印は同訴外人が所持していた同被告の実印によるものであることは、前記認定の通りであるけれども、かゝる事実が認められるからといつて、前記事情のもとにおける原告の右過失を免れしめる根拠となすに足りないと解するのが相当である。」

というのである。

ところが、御庁第三小法廷昭和三五年一〇月一八日判決によれば、

「本人が他人に対し自己の実印を交付し、之を使用して或る行為をなすべき権限を与えた場合に、その他人が代理人として権限外の行為をしたとき、取引の相手方である第三者は特別の事情のない限り実印を託された代理人にその取引をする代理権があつたものと信ずるは当然であり、かく信ずるについて過失があつたものということはできない。

そして、かゝる場合に右の第三者は常に必ず本人の意思を確め行為者の代理権の有無を明らかにしなければならないものと即断することもできない。」

と判示しているのである。

これによつてこれをみるに原判決は明らかに、右御庁判例に背反するのである。

もつとも原審は、被控訴人が訴外博に実印を交付したる事実を否定しているが、その事実誤認なることはすでに述べた通りであるが、更に進んで実印の交付のなかつたことが原審認定の通りであつたと仮定しても、実印の有無は、右判例要旨の解釈及民法第一一〇条の解釈適用上決して重要な事柄ではないと信ずる。

何となれば、

取引の相手方である第三者は特別の事情のない限り、実印を託された代理人にその取引をする代理権があつたものと信ずるは当然であるが、その第三者が「実印を携行する代理人」を「実印を託されたもの」と信ずることも亦当然の事理とせねばならない。

そして、かかる場合右の第三者は常に必ず本人の意思を確め行為者の代理権の有無を明らかにしなければならないものと即断することもできないと同様に「実印を携行する代理人」を「実印を託されたもの」と信ずるについては常に必ず本人に対し、その代理人に任意実印を交付したるや否やを確めねばならないものと即断することもできないと信ずる。

思うに前記判例の趣旨は実印は何人と雖ども、これを大切に取扱い容易にこれを何人に対しても渡さないものであり、実印を代理人に渡したときは、その実印を使用してなすべき一切の行為を包括的に委任したものと看做され偶々本人の実印を携行した代理人がいるときは、その取引の相手方はその代理人についてその取引をする代理権があつたものと信ずるのは当然の事理であるというところにその根拠があると信じます。

之によつて之をみるに本人が実印を交付したるや否やは民法第一一〇条の解釈としては、所謂基本代理権の有無判定の資料たるに止まり、取引の相手方の過失の有無判定の資料とはなり得ないと考える。取引の相手方は代理人が本人の実印を携行している事実を信用するのが過失か否かの問題であつて、取引の相手方は常に必ず本人がその代理人に対し、任意に実印を交付したるや否やを、知る由もないからである。

したがつて、右判例の骨子は実印交付の点に重点があるのでなく、実印携行の点にその重点をおいて了知すべきものと考えられる。原審が思いをここに至さず、慢然実印交付という本人と代理人との内部のみに把われ、取引の相手方との外部関係について深く思いを至さず、本人より実印の交付のない場合は、右判例を適用することが適切でないとして上告人の主張を排斥したことは、右判例の趣旨に悖り、ひいて民法第一一〇条の解釈を誤つたか、理由不備の違法ありというべく、またこの点について証拠上既述の矛盾あるに拘らず、充分の審理を尽さなかつた原審は、審理不尽の違法ありというべきである。

以上何れの理由よりするも原判決は上告審の審理に於て、破棄すべき重大なる欠陥を有し之を破棄せねば著しく正義に反するものと考えられるのであります。

現下正当なる取引関係に立てる第三者保護の傾向が拡大強大されゆく法律思想の風潮のとき原審の判決は、この風潮に逆行するもので寔に遺憾の極みである。

敢て原判決を破棄し上告人勝訴の御判決を求める所以である。

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